出会い・出来事

岡本太郎氏との写真

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たいへん懐かしい写真が見つかりました。

1969年。
大阪万博のシンボル「太陽の塔」の背面の顔、「黒い太陽の顔」が㈱近江科学陶器の勅旨工場前広場に並べられました。その「黒い太陽の顔」の上に立っているのが岡本太郎氏。そして左側、ゴム手袋にタワシを持ち、岡本先生をにこやかに見つめているのが、小嶋太郎(当時29才)。同じ太郎同士と言う事で岡本先生から「小太郎」と呼ばれていました。(岡本先生は「大太郎先生」!)

初めての出会いは昭和38年(当時23歳)、信楽の近江化学陶器デザイン室のチーフとして東京オリンピック代々木体育館の壁面レリーフのお手伝いをする事になった時でした。
先生は52歳、その後も伊豆「堂ケ島ホテル」などの壁面レリーフや「座る事を拒否する椅子」を始め展覧会作品のお手伝い、そして大阪万博「太陽の塔」に至るまで、数多く携わります。

太陽の塔はその原型のミニチュア造りのお手伝いから始まりました。
青山のアトリエで、先生は塔の形を作られたあと、叩いて削り、また叩き、削り、さらにまた、トントン!コンコン!と響く音が何日も何日も続きました。
ようやく納得のミニチュアが完成し、それを元に信楽で「黒い太陽の顔」の作陶が始まったのです。近江化学陶器の大勢のスタッフがそれぞれに力を結集し、あの巨大な黒い顔が焼上りました.

写真は焼き上がり最終チェックの場面です。この後、岡本氏は記者団の前で「黒い太陽の顔」の口に祝いの酒を流し込むパフォーマンスをされたそうです。

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